興味、、、て原点だと思う。
人それぞれ、
好きなもの、夢中になるもの、頑張るもの、上を目指してるもの、、、、その他、、
などがあるだろう。
それは自分の場合、これに当てはまる主的なものが自転車競技(ロードレース)ってわけです。
人にはそれぞれ、このように好きで、目標に向かい日々をその目標を達成させるために使い(頑張る)ような存在を自らの意思で設けてる。
そう、自らの意思でね、、、、
では、このような存在(夢中になるもの)っていうのは、いったいどうやってたどりつく、別の言い方をすると、出会いから始まり、どうやってそう夢中になれるのだろうか、、、そして上を目指しだすのだ。
、、、、
これらの始まりってすべて共通していると思う。
それは、、、 興味 だと思う。
すべての原点、始まり、ものごとに自らの意思で取り組みだすのに最も大事なことは、そのものに対して自分の頭が自然と興味を持つかどうか、
自然と興味がもてるか、、というような気がします。
だから例えばな話、、好きな車のスペックなんかはどんどん覚えられる。覚えるのもなんの苦にも感じない。
みたいなこと、、あると思う。
要するに物事を取り組むにあたって、大事なのは自主性だ。自主的、自ら進んで、ということが大事だ。
言いたいことはこういうこと、、
だから自転車の日々の練習だって、自主性が大事。それも、「あ〜やりたくない」なんて思ってやるのと、「よっしゃ、今日も練習楽しみだ」と思ってやるのでは、だいぶ違うと思う。
自分の話だが、大学の寮と地元(湘南)での環境的な違いは、この部分が一番大きいんだ。
、、、
だけど、、そういう感情的・好意的な部分はおさえれば、(楽しくやりたいってことをおさえれば)強くなるための手段は、足元にごろごろ転がっているんではないかな、
、、、
「好きにやりたい。楽しく練習したい。だからつまらない練習はしたくない」っていうことに目を閉じれば、その足元に転がってる手段というものに、今の自分だって、手を伸ばしてつかもうとすることはできなくはないはず。
、、、
強くなりたいという(興味?)想いはいつでも持っている、、、その強くなりたいという一言にも、ひとそれぞれいろいろな想いからその一言にたどりついているのだと思う。
認められたい、とか
自信をもちたいために、とか
好きだから極めたい、とか
あの人のために頑張る とか
、、
他にも、見返したい、有名になりたい、という想いでがんばってる人もいると思う。
自分の場合は、「好きな自転車ロードレースだから、そしてこうして夢中になれることに出会えたのは本当に感謝。、、、自分が楽しむため、自分にとって大きな存在の自転車競技であるから上のレベルにいきたい。=強くなりたい。」という想いがある。
こうして言い表してみると、シンプルだと思う。
とは言うものの、想いなんていうのはこうして言葉で区切れるようなものではないけど、、、
境目なんてないんだ、オーロラのような区切りのないもの、、、人の想いが形として現れるとしたら、そういうものなんじゃないかなぁ、、、
わけわからんこと勝手に言っていてすいません。でも、なんとなくおわかりいただけたら嬉しいです。
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