時間。一瞬の今。

 遠い昔の過去の思い出。
 まだ20年しか生きていないけど5年も前のことは遠い過去に感じる。今その頃の日々を振り返って思い出せることっていうのは本当に少ない。あの頃の日々ってほとんど記憶に残っていなくて、ただ1年間とかそういう大きい単位をたった一言で「 あの頃は〜だったな。」と振り返るくらいしかできない。それくらいしか覚えていない。写真を見てやっと、「 そういえばそんなことがあった 」と過去の日々を思い出すことができる。


 今日、6年ぶりに中学時代の同級生と会ってきた。6年も会っていなかった友達だけど昔と変わらず話ができるというのは嬉しかった。久しぶりの再会だというのに実時間ほどたいして久しぶりの再会だと感じなかったのには驚いた。そして話をしていてお互いに中学時代の記憶がほとんど消えていることに気付いた。


 そのとき、「 怖い 」って思った。


 きっと自分はあの頃だって毎日何かを思いながら1日1日を過ごしてはずだ。今もそれは変わらない。毎日何かを思いながら生きてる。
 でもそういう過去の日々が思い出せなくて、あの頃の日々は何を思っていて何を見ていたかも忘れている。1年間とか大きい単位の記憶が一言で言い終わってしまうくらいのものになっている。


 今自分が送ってる日々、毎日思っていること、綺麗な景色を見たこと、人と良い時間を共有できたこと、笑ったこと、家族、レースを走って何を感じたか、そして未来への期待。そういう今の日々を記憶として5年後やもっと先の未来に遠い過去として振り返ったときに、たった一言で言い終わってしまうくらい小さなものになっているのかと考えたら寒気がするほど怖くなった。


 今この日々も未来ではひどく懐かしく感じるのだろう。そのときはいったいどんな自分がどんな場所から今を振り返るのだろうか。それは想像がつかないが、今の自分のこの日々、未熟ではあるけど振り返ればきっと美しいものだったと思えるだろう。その今を忘れないでいたい。大切だと思っているこの今もいつか記憶から消えてしまうものだと思うと、本当に悲しくなる。


 だから今日は食後にみなとみらいを歩いているときには「 今を大事にしよう 」って深く思った。

 正解なんて無いのかもしれない。自分自身が本心で納得できることがその人の正しいアンサーになるのかもしれない。そういう自身が納得して生きていくための「 強いもの 」がほしいと思い続けるこの日々。



   
   

 
 今日はありがとう。