ツール・ド・シンカラ2014レポート


【大会情報】
  大会名:ツール・ド・シンカラ(UCIアジアツアー2.2)
  開催場所:インドネシア共和国・パダン周辺コース
  大会期間:2014年6月7日(土)〜 6月15日(日)


 今回の遠征は自身初東南アジア、スマトラ島での9日間9ステージのツール・ド・シンカラ。U23選手が5人にブリジストンアンカー所属のエリート選手2名、初山選手、内間選手という7人のチーム編成で臨みました。エリート選手と共にナショナルチームでレースを走ることも初めての経験であり多くを得られる遠征でした。

   
   (写真:田中苑子さん cyclist記事より)


【第1ステージ】
 ほぼオールフラットで距離は100kmの第1ステージ。形成され逃げに日本チームからは内間選手が加わり、先頭はそのまま逃げ切りの展開へ。内間選手は残り5kmで先頭グループから更にアタックして単独で抜け出し第1ステージを独走優勝しました。そして内間選手は総合リーダージャージを獲得し翌第2ステージはジャパンチームは総合リーダーチームとしてスタートしました。
   
   (写真:田中苑子さん cyclist記事より)


【第2ステージ】
 レースは序盤に数人の逃げが決まりジャパンチームは総合リーダーの内間選手を除く6選手で集団をコントロール。レース中盤の2級山岳に入り、集団で温存していた他チームが「 待ってました 」というようにペースを上げ振り落としにかかった。集団コントロールをしてきたジャパン隊列は上り口で崩壊し内間選手と初山選手を前へ送り込み自分は山岳地帯で前には残れずアシストとしての役目を終えた。
 山岳を前で越えられればレース後半にもう一仕事できる。次はそれを試みようと思った第2ステージでした。


【第3ステージ】
   
   (写真:田中苑子さん cyclist記事より)
このステージレースでの自分のできることとチームに対しての役割が明確になってきたと感じた。チーム的にはそれを「仕事」と言う。
 レース前半からの抜け出す展開に積極的に加わって逃げに乗ること。それは時と場合にもよるが自分にも集団にいるチームメイトにもメリットがある場合がある。
 スタートから積極的に動き6名のグループで最初の山岳ポイントを通過したものの大きな追走グループに飲み込まれた。その日は大逃げは打てなかった1日だったが徐々にコンディションも上がってきていると感じることができた。
 初山選手が区間3位入賞を果たしました。
   
   (写真:JCFホームページより)


【第4ステージ】
   
   (写真:田中苑子さん cyclist記事より)
 容認してもらえる逃げを作るためにスタートと同時にアタックをした。だがカウンターアタックで6選手を先行させてしまい最初から逃げには乗れなかった。その後、リーダーチームの長いコントロールが始まり2〜3分で推移するタイム差を見ながら淡々と進んだ。
 レース終盤の1級山岳に差し掛かる手前でもう一度抜け出しを試みてアタックをした。3人で抜け出すことができて最初から逃げていた先頭グループへのジャンプアップに成功しリーダーチームに圧力をかけるが、1級山岳では総合リーダーを始めとするイラン勢がチームの垣根を越えた協働体制で山岳をこなしあっという間に吸収された。
 山岳区間では正直力勝負には参加できそうにないが、逃げて勝負するならチャンスはあるかもしれないと感じた1日だった。


【第5ステージ】
 逃げを決めたいという一心でレース前半1時間のアタック合戦で力尽きて集団から遅れ60kmを1人旅。タイムアウトギリギリでゴールした1日だった。


【第6ステージ】
 内間選手が区間2度目の独走優勝。内間選手は自身の得意パターンに持ち込んで結果につなげる走りを第1ステージに続き、この日も強さを見せつけた1日でした。
   
   (写真:田中苑子さん cyclist記事より)

 個人的には前半の決まりそうな逃げにはチェックに入れていたことは良かった点だと思うが重要な場面で展開に参加できなかった1日だった。次ステージから重要な一瞬を読んで動けるようにしたいと思った1日だった。


【第7ステージ】
   
   (写真:田中苑子さん cyclist記事より)
序盤に3級山岳があるが全体的にフラットな167kmのステージ。リアルスタートと同時にアタックをして5人の逃げグループの形成に成功。メイングループは逃げを容認ししばらく3〜4分のタイム差をキープ。中盤には1名が脱落し4名の先頭グループとなり4分差でラスト60㎞地点を通過。(イラン・フィリピン・台湾・自分)
 その後集団はスプリント勝負に持ち込みたいオーストラリアチームの牽引で差を縮められラスト20㎞で1分20秒となる。自分は逃げ切りを意識した。「 勝てるかもしれない 」という状況で逃げているときはゴールがひたすら遠く感じた。でもその時間に鳥肌が立っていた。

 逃げ切りを意識して先頭4人は協調体制を崩さずラスト20kmはひたすら高速で集団の追い上げに粘るようにペースを上げたがラスト5kmで集団とのタイム差13秒。ここまで4時間弱160km逃げてきたがそこから最後の力を振り絞って逃げ切ることに4人とも本当に全開だった。最高レベルの苦しさのなかゴール前2.5㎞でゴールスプリントに備える集団に吸収されステージ優勝のチャンスは掴めなかった。悔しい!!

 結果に繋がらなかったのは悔しいけど存在感のあるチャンスを掴みにいくための攻めのレースが出来たことは良かったと思う。毎ステージ挑戦してやりたかったことがやっと出来た7日目だった。
   
   (写真:田中苑子さん cyclist記事より)


 
 その翌第8ステージは疲労の回復が間に合っていなくスタートから身体がスカスカで力が出せない状態だった。レース中は常に余裕が無く1級山岳の上り口で集団から遅れて1人旅になってしまう。翌日の最終ステージの第9ステージをスタートするためには今日を走りきらないといけない。ゴールを目指し粘っていたが審判車からDNF(途中棄権)の対象サインが出され回収車両に誘導された。
 最終第9ステージまで走りきれなかったが「 何もせず走りきるよりも第7ステージでの大逃げは価値あるものだ。強くなったな 」と浅田監督が言ってくれたことに救われた気がする。



【ツール・ド・シンカラを終えて】
 今回の2週間にも及ぶスマトラ島へのツール・ド・シンカラへの遠征。これまでのヨーロッパ遠征などはU23選手限定の遠征でした。しかし今回こうしてエリート選手2名、内間選手と初山選手(ブリジストンアンカー所属)とナショナルチームでチームメイトとして走る機会があったことは貴重な経験となりました。
 やはり得るものは多かったです。それに先輩選手たちの強い姿を見せてくれたことで自分は勇気をもらいました。
 東南アジアにとって自転車ロードレースという新しいスポーツが歓迎され受け入れられていること。大会運営に関わる現地の人たちにとってもロードレース運営というのは新しい挑戦であることだろう。ロードレースを驚いた笑顔で応援してくれるスマトラ島の人たちが本当に多くて驚きました。


 今遠征でお世話になった浅田監督、橋川さん、穴田マッサー、中村さん、JCF、現地まで取材に来てくださった田中苑子カメラマン、ありがとうございました。素晴らしい経験ができたことに感謝します。


 面手 利輝


 
 http://cyclist.sanspo.com/138776
 プロカメラマンとして現在はアジアの草レースからツール・ド・フランスまで、世界各国の色鮮やかなサイクルスポーツを追っかけ中である田中苑子さんによるツール・ド・シンカラ2014レポートです。

   
   (写真:田中苑子さん cyclist記事より)