後ろ振り返れば歩んできた1本の道、前見れば無限に広がる大地。

 


 まだ18年しか生きていない僕がこんなこと言うの生意気なのかなぁ。でも書きたいと思う。



 今の自分が存在する。そして今、夢中になれるものがある。レースで落車して骨折してしまう可能性もある。骨折ではすまない大けがをしてしまう可能性もある。 時速60kmを超える下り坂で、落車して、皮膚が削りめくられ、火傷のようなケガをすることもある。密集した集団の中で、接触してドミノのような、集団落車に巻き込まれることもある。

 でも、そのスポーツでをやり続けて、「強くなりたい」・「今自分がいる選手としてのレベルを脱出して、上のレベルに行きたい」と思うのは理由や理屈によるものではないと思う。自然と、そして興味があって、、、なのだろうか。





 という夢中になれるものに出会うことができたのは本当に偶然と言えるだろう。

  小学生だった自分は何をしていただろうか、4年生くらいからピアノを習い始めた。ピアノを弾きたいと思ったんだ。

  中学生だった自分は、学校の野球部に入ってたな。でも野球をうまくなりたいとは思わなかったんだ。何を思っていたかなぁ。(バットでボールを打つ)っていうっことが好きだったなぁ。

  そのとき一番楽しかったのは、ノックだもん。受ける方じゃなくて打つ方。守備の練習のためノックしてもらいたがる友達はみんな「としき〜ノックしてー」って言ってたから、なんか噛み合っていたなぁ。

  それと同時に、ピアノも好きでずっとやってた。

  その時の目標はというとね、、、ピアノでいろいろな曲を弾けるようになること、、だったんだぁ。

  載せた音楽、これを弾くのが好きだった。希望があれば生演奏します。こんなふうに上手ではないですが。




 そういう中学生の僕には、ロードバイクに乗ったこともなければ、触ったこともなかった。でも、感謝すべき偶然によって、今があります。

  中学校の先輩が自転車で遠くへ行くのが好きで、もちろんママチャリ。母親に携帯電話を借りて、お日様が上る前から遠出をしていた。その時の自分には、未知の世界へ行くような旅のように感じた。

  

  氷の張った湖。氷が割れなくてよかった。


  そして、ロードバイクに乗ったおじさんが「よくママチャリでここまで来れたね、君がこういう自転車のったら速くなるぞ」っと言ってくれて、すぐに姿は見えなくなった。

  そのロードバイクに乗るおじさんが、プロ選手のように、そして壮絶な凄さを感じた。おそらく趣味でロードバイクを乗られている方だと思うけど。その時の僕には、そう見えたのです。中学2年生の頃だろうか。

  だから、その思いを形にしようと、ロードバイクを作ろうとした。買うお金がなかったから。親に頼もうかと思ったが、高いものだとしっていたし、だから頼めなかった。

  

  捨ててあった鉄フレーム。それにママチャリの後輪をむりやりつける。ママチャリの車輪はロードバイクの車輪のハブの幅と違うから、フレームを内側に曲げて、

  フリーギアのピストみたいなものにすることができた。そして、フレームにペンキで色を塗って、、、それに乗れるだけでうれしかったのさ。

  レースとか知らなかった。勝負とか、戦いとか、、、


  知っていたのは、ただ、自転車に乗って走る喜び、



  そこが、僕がロードバイクに乗り始めたきっかけ。中学2年生の終わりくらいだろうか。

  なぜか、なんでだろうか、泣きそうになる。




 そして横浜高校へ入って、自分が知らなかった強さの人たち、先輩たちと出会い、何も知らない自分は、いろいろ吸収しようとして、、、ついていけない悔しさを知って、、

 とにかく、同じ年代の全国的に強い選手たちに追いつきたかった。高校3年間でその差は埋められるかわからなかった。だけど、知識ないなり、視野がせまいなりに、強くなろうとしていた。

 高校3年間の内で全国優勝という目標を決めた。けっこう焦ってた高校生活だったかもしれない。

 そして気が付いたら、高校を卒業していた。

 全国優勝という目標は達成していない。 良くて、2位と3位、

 だから追い続ける。

 今年は、JCFジュニアで、海外のステージレースに出て、思いっきり走りたい。



 そして今、自分の目標に向かっている。そして、もし自分で良ければ、自分で力になれるなら、 後輩たちに少しでもプラスになれば良いと思ってる。



 ロードバイクに乗り始めて、今年で4年目に突入。

 乗り始めたのが遅いとも思ったこともあるが、 こうして夢中になれることに出会えて本当に良かったと思う。いろいろな偶然・人に感謝の気持ちが沸いてきた。


 だから、、、

  、、、今を大切にしていきたい。