競技としての自転車。
自転車ロードレース。
今の自分は、その自転車ロードレースの魅力に魅せられているだろう。自分が選手としてレースを走ることも強く望む。体の調子だけではなく精神面、あとはその他のコンディションがすべて高い域で整ったときに走るレースというのは、とても面白いものだ。
もちろん、そこには力勝負だけではなく、駆け引きなど、組み立てていくものがあるからでもある。
またあるときは、レースを観戦する側でコースの沿道で走り抜ける選手を見ることもある。トリハダ立って感動する。ビリビリっと来ます。走っている選手が友人だったり、よく知っている人であればなお更に。それはその人の普段の頑張りとかを知っているからです。
そんな今となっては自分にとってこれだけ大きな存在である自転車ロードレースも、自分が高校1年のとき初めて自転車ロードレースを見たときは衝撃的だったことは今でも忘れない。
生でレースを見てこんなに危険と隣り合わせの競技ということに本当に驚いたのです。
レース中に密集した集団内で1人の選手が落車し、それに巻き込まれ何人もの選手が突っ込んで落車する。時速50km/hで。自力で動けない選手が道に横たわってる。
なのに、
なのに、レースは中断や一時タイムストップすることなくそのまま続けられる。落車した選手以外の選手は何もなかったかのように、アナウンサーも動揺した感じはなく、冷静に喋っていた。落車した選手はタンカで運ばれているというのに。
それが高校1年の自転車競技に出会ったころの自分にはあまりにも衝撃的だった。
手が震えた。
今まで自分は他のスポーツの経験は無い。
小学生〜中学生の頃はピアノが好きで習っていて、中学ではただなんとなく野球部に入って、なんとなく部活としてやってた。
だから、他のスポーツのことはあまり知らないものだから、他のスポーツのことは説明したりはできないけど、
でも、例えばテレビで見る野球であったら、選手が転んでケガをしたら一時ゲームがストップする。
サッカーであったら、選手があしをくじいてグラウンドに座り込んでいたら、ゲーム一時ストップ。
選手のケガの応急処置などしてからゲーム再開といったケースがあると思うのですが。(間違っていたらすいません)
自転車レースにはそんなことはなく、落車してコース内に動けなくなった選手が倒れていようと、レースはそのまま続けられる。落車した選手以外の選手は何もなかったかのように。
そんな厳しいという表現がいいのか、残酷と言っていいのか、わからないがそんな過酷な様子が衝撃的でした。
競技を続けてきて、それが普通の感覚になった頃、今年にフランスでレースを経験してまた更にこの競技の他のスポーツにはないデンジャラス加減には驚いた。
夜の10時、真っ暗な夜の街の道路を通行止めにし、それがコース、頼りになるのは街灯のみ。
そんな中を無灯火で2時間の間全開で街の中をもがきまくる。コーナーの立ち上がりは前者にべた着いてマジの全開加速。昼間となんの変わりなく。
ナイタークリテリウム。
[ 今年8月にフランスで走ったナイタークリテ写真 ] ・左から2番目、自分です。
自転車以外の他のスポーツやってる人にナイタークリテを沿道から見せたら、あまりのデンジャラス加減に必ず驚くだろう。「 いったいなんてことしているんだ彼らは 」って。
そんな危険と隣り合わせの競技であり、いつ自分がケガするかもわからない。競技中の落車は防ごうとして防げるものではないから。いくら自分が気をつけていても。
常にリスクを負ってるということ、そのことを再確認したうえで自転車に乗らなくてはいけないと思った。
一瞬で人の今までの生活を変えてしまうこともあるし、その逆もあるからだ。
そういう競技なんです。
そんなリスクがあることをわかっていても、この競技から離れられないものなのです。上を目指しているのです。